久しぶりに立川で仕事があった。
以前お世話になった銀行マンからお呼びがかかって行ったわけだった。
中央線で新宿から特別快速に乗った。
速いものだ。吉祥寺も荻窪も止まらないわけだから。。。
駅に降りて北口に立つと、伊勢丹がドンとある。高島屋とビッグが二つ
新宿並みである。
町を歩いている人たちもどことなくあか抜けているような気がする。昔はそうでなかった気がするんだけれど、気のせいだろうか?
立川というと競輪である。
今はまったくといってやらない。でも年末の競輪グランプリは見る。
オリンピックの競泳や短距離陸上競技のように見ていてものすごく面白い。
ばくちという次元を超えている。
最高レベルの選手たちが一気にゴールを目指す姿は実に美しい。
記憶に残るのは井上茂徳である。
競輪グランプリの第一回は中野浩一が勝ったけど見ていない。
第2回と88年に井上が勝った時は見た。
基本的には大レースになると、中野浩一の後ろにつく。コメントも「いつものように中野さんの後ろで」と
第二回のときは清嶋が大逃げをうった。清嶋の大逃げはある意味反則ぎりぎりで、ジグザグ走行をする。彼のペースにうまく巻き込んだ時は強く。全日本選手権でも2回優勝した。その時も清嶋のペースだったけど、井上が最後内を強烈につき、最後は落車しながらゴールした。自転車の間と間を突いていった。これを見て競輪に関心をもつと同時に井上茂徳に関心を持った。
88年の時は目の前で見た。
いつものように中野浩一の後についた。この年中野は比較的好調で、特別を2つ勝ったと記憶している。ただし当時は滝沢の全盛時代。人気も滝沢中心で後には山口健治がついていたのではないか?
中野は打鐘のあとも最後8番手についていた。それまで足は使っていないのでどうなるか?と思ったところ、「浩一ダッシュ」と言われた強烈なまくり足で向こう正面を一気に抜いていった。上級者ばかりの決勝でああいうまくりを見せたのも多少衰えを見せていたあの当時はそんなになかった。後ろについていった井上は第4コーナーまで中野の後ろにつき、そこから直線ですさまじい足を見せトップとなった。2着は山口健と記憶するが自信はない。
いわゆる立川競輪場から立川駅までの「おけら街道」を歩きながら、井上ってすごいなあとおもったっけ。。。通常の記念競輪でも彼の鬼脚を見ようと追っかけたけど、どちらかというと横綱相撲が多くてサーカスのようなすごいのは見れなかった。やはり高額賞金がかかると違うという気がした。
今日は「おけら街道」には行かなかった。
部下と一緒だったので、彼の車に乗りながら「モノレール」をものめずらしそうに見ながら帰った。途中「立飛企業」という看板をみて、バブルのとき株価が含み資産からみで大暴騰したのを思い出した。