映画とライフデザイン

映画ブログを始めて18年、年間180〜200本観ます。時おりグルメ記事や散歩して気に入った場所の記事を書きます。gooの閉鎖で移動してきました。

映画「バグダッド・メッシ 片足のサッカー少年」

映画「バグダッド・メッシ 片足のサッカー少年」を映画館で観てきました。

映画『バグダッド・メッシ 片足のサッカー少年』は、サヒム・オマール・カリファ監督による2023年のイラク・ベルギー・オランダ合作映画。監督自身もイラク出身のクルド系で、戦争で傷ついたイラク社会を、サッカー好きの少年とその家族を通して描いた作品。イラク映画では直近でフセイン統治時代の『大統領のケーキ』があったが、こちらはイラク戦争以降が舞台。

 

戦争後のイラクで生き残ろうとする人たち

単純なサッカー映画、あるいは片脚を失った少年の障害克服物語として見ると少し違う。これまで自分が知らなかったイラク戦の現実がいくつも見えてくる。米国系民間軍事会社、イスラム教シーア派とスンニ派の宗派対立、貧困、武器ビジネス、まだ残る地雷原といった要素を通じて2009年のイラクが描かれる。作品としては比較的オーソドックスであってもタメになる

 

2009年のバグダッド。11歳のハムディ(アフマド・モハメド・アブドラ)はサッカーのメッシに憧れ、友人たちとサッカーに夢中になっている。父カディム(アセール・アデル)アメリカに近い民間軍事会社で働いており、そのため地元では「アメリカ側についた裏切り者」と見なされている。街中での反米派との銃撃戦に偶然ハムディも巻き込まれて運悪く左脚を失う

父カディムへの反米派からの敵意は激しく、自宅に火炎瓶を投げ込まれ、一家は家を焼かれてバグダッドを離れざるを得なくなる。母サルワ(ザフラー・ガンドゥー)の姉がいる田舎での生活が始まる。

 

⒈イラクの現実

現在につながるイラク社会の姿が見られる。バグダッドの街には戦争の傷痕が生々しく残り、コンクリートの建物は破壊されたままだ。自分が幼稚園の時、すぐ隣の星製薬の建物(現在西五反田TOC)がまさに戦争後の廃墟のように残っていたのに似ている。郊外へ出れば乾ききった荒涼とした土地が広がる。この風景を見るだけで興味深い。イラク戦争が終わった後で人々の日常に何が残るのかを描いた。

 

⒉イスラム教シーア派とスンニ派の対決

映画にはイスラム教スンニ派とシーア派の対立も入り込んでいる。われわれが高校の世界史で学んだことが現実に生きている。

移動途中の検問では宗派を問われる場面が2回ある。シーア派だとNG。宗派の違いが単なる信仰上の問題ではなく、国内の内戦に関わり、人々の安全を脅かす。一家が田舎で身を寄せる妻の姉もシーア派で、夫が民間軍事会社の犠牲になっており、検問ではスンニ派とウソをついて危なかった。米国側への協力と反発、宗派対立、家族関係が複雑に重なっている。

 

⒊父親の存在と武器ビジネス

重要なのは主人公ハムディ以上に父カディムの存在である。田舎へ移った父は魚を売って生活しようとするが、見るからに十分な稼ぎはなさそうだ。やがて家賃を滞納する。そこで大家から、戦場跡に残された武器を回収する仕事を持ちかけられる。一度は断るものの、金に困り、結局引き受け地図を渡される

この「武器ビジネス」戦場に残された銃器や弾薬そのものを売買する武器商人(ここでは大家)がいて、貧しい人々が地雷による危険を承知で回収に戦場へ向かう。カネにはなるけど、死と背中合わせだ。

 

⒋集落のTVと修理

集落では少年たちが皆でサッカーを見るためのテレビが壊れてしまう。少年たちはテレビを直し、ロナウドとメッシの対決を見たい。その修理代を作ろうと、父が持っていた武器回収場所の地図をこっそりハムディが持ち出す。

それを手掛かりに、ハムディたち4人も戦場跡へ向かう。そこが地雷原であることは少年たちも承知しており、銃を持った死体に恐る恐る近づく。うまくいくのか?観ているこちらもハラハラする緊張感がある。

ハムディは危うく爆発に巻き込まれそうになる。戦争の残骸を売って得た金でテレビを直し、世界最高峰のサッカーを見たいのだ。

 

その出来事を経て父とハムディはバグダッドへ向かう。生活のために危険な仕事から逃れられない父と、それでもロナウドとメッシを見たい子どもたち。この対照が作品の核心構図だろう。なかなかきわどい話だ。


www.youtube.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

映画「白パンと独裁者」

映画「白パンと独裁者」を映画館で観てきました。

映画『白パンと独裁者』(原題『Amrum』)は、『女は二度決断する』のファティ・アキン監督が、第二次世界大戦末期の1945年を舞台に描いたドイツ映画。アキンの恩師である映画監督・俳優ハーク・ボームの少年時代の体験をもとに、ボームとアキンが共同で脚本を手がけた自伝的色彩の強い作品。ヒトラー系映画多すぎだけど、予告編を観ると肌あいが違うので選択。

 

題名のイメージと違うエピソード満載の佳作

美しいアムルム島を舞台にした少年の小さな冒険物語である。独裁体制が崩壊し価値観が一変する瞬間を一人の子どもがどう経験したかという展開。農場での仕事、干潟を渡る危険、疎開者との対立、配給制度の崩壊、母親の不安定さなどタイトルの「白パン」だけから事前に想像する以上にエピソードは豊富で意外に奥が深い。最後に向けてはあたたかい場面もある。

 

1945年春。戦火を逃れてドイツ北部のアムルム島に疎開している12歳のナニング(ジャスパー・ビラーベック)は、戦地から戻らない父を待っている。テッサ(ダイアン・クルーガー)が農場主の農場を手伝う妊娠中の母ヒレ(ローラ・トンケ)叔母エナ(リーザ・ハークマイスター)や弟と暮らしている。

母ヒレはヒトラーを強く信奉。ナニングが「ソ連軍がベルリンまで50キロまで迫っている」と口にすると、ヒレは「誰から聞いた」と厳しく問い詰める。敗戦を口にすること自体が許されない。

やがてヒトラーが自殺し、その知らせとほぼ同時にヒレは出産する。しかし出産後のヒレは心身ともに不安定となり、食事を取らなくなる。母が唯一食べたいと言ったのが、バターとはちみつをたっぷり塗った白パンだった。

 

⒈白パンの材料を求める主人公

ナニングは母のために砂糖、卵、バター、はちみつなどを手に入れようと奔走する。でも単なる「食材探しの映画」にとどまらない。その過程で起こる数多くの小さな出来事が盛りだくさんなので飽きない。

砂糖を求めてナニングは、干潮時にしか渡れない干潟の向こうへ向かう。ナチス党員である叔父から砂糖をもらう際には、ヒトラー・ユーゲントの忠誠の言葉を唱えるよう要求される。帰りが遅くなれば潮が満ちていく。

渡ろうとして自転車まで流され、自分自身も溺れそうになる。アムルムの美しい海は楽園の風景であると同時に、命を脅かす脅威でもある。

 

⒉戦争による疎開

島にはナニング一家以外にも戦争による疎開者がいる。ナニングは当初、島の少年たちと一緒になって新しくやって来た子どもたちを罵倒する。ところが、逆に島の少年から「お前だってここの人間ではない」と突き放される。その後、一族が何世紀にもわたりこの島で捕鯨に携わっていたことを知るが、疎開してきた少年たちとの衝突が起きていく。

 

⒊大統領のケーキとの類似

食料不足での子供の食材料探しという点では、物資の乏しい中で少女がケーキの材料を集める直近の映画『大統領のケーキ』アナロジーを感じる。これはサダム・フセインの誕生日を祝うため国家から強制されたケーキ作りだったのに対し、ナニングが母への愛情で自発的に白パンをつくろうと材料を求める。どちらも食糧不足の中で子どもが砂糖や卵といった身近な食材を探し求める逸話で政治や社会の異常さを浮き上がらせる。

 

⒋母親ヒレの葛藤と戦後

ナチズムを声高に論じ続ける映画ではない。夫を戦争に送り出し、その帰還を待つ妻でもあるヒレの姿には、信じてきたナチス体制が崩壊すれば夫や家族が払った犠牲まで意味を失ってしまうという心理も感じられる。戦前の日本人戦士の妻も同じ気分で体制を信じた。

 

敗戦後の生活を描く細かなエピソードもいい。母親ヒレが子ども2人と赤ん坊を連れて肉屋へ行き、戦前の配給券を差し出す。店主から「今はドルやポンドでなければ駄目だ」と断られる。

ヒレは子どもたちを店外へ出し、店主との過去に何らかの親密な関係があったことを匂わせながら頼み込むが、それでも肉は手に入らない。

追い詰められたヒレが大きなソーセージを持ち逃げして店を出てしまい、店主に追われ周囲の人々から冷たい視線を浴びる場面は印象的だ。昨日まで通用した制度や人間関係、社会的立場まで一夜にして崩れることがわかる奥の深いシーンだ。

 

⒌アムルム島と題名

映画冒頭に映し出されるアムルム島の上空から見る映像が実に美しい。緑に覆われ、海と広大な砂浜に囲まれたすてきな島である。上空を本土へ向かう爆撃機が飛んでいる映像があっても穏やか。この美しい風景と崩壊寸前のドイツとの対比が印象的だ。

原題は単に『Amrum』、映画の舞台となるアムルム島の名前だけで「白パン」も「独裁者」もない。日本題の『白パンと独裁者』ではいわゆるヒトラーやナチスを正面から描く歴史映画だと受け取られる可能性もあり損をしている。単なるナチス映画と考えて敬遠されてしまうのは、もったいない。

 

1945年のアムルム島で、疎開してきた少年が食料を探し、人とぶつかり、海の怖さを知り、その積み重ねの中でナニングは、母から教えられたナチス世界と、自分自身の目で見る現実との違いに少しずつ気づいていく。

敗戦によって社会の価値観が変わる瞬間を見つめていくのも日本人として共感がもてる。観終わってみると地名だけを掲げた原題『Amrum』の方が、作品全体の広がりをよく表していると感じる。


www.youtube.com

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

映画「スパイダーマン・ブランド・ニュー・デイ」

映画『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』を観てきました。

映画『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』は、トム・ホランド主演による実写版スパイダーマン・シリーズの第4作。監督は『シャン・チー/テン・リングスの伝説』デスティン・ダニエル・クレットン。前作『ノー・ウェイ・ホーム』から4年後を舞台に、世界中の人々の記憶からピーター・パーカーの存在が消えた後の物語が描かれる。

 

身体感覚で楽しませるよくできたアクション映画

私自身、前作を見ていない。前作を引き継いでピーターが人々の記憶から消えていることも知らずに見始めた。それでもいきなり勢いのあるアクションを展開し、一気に画面へ引き込まれる。ストーリーは分かったような、分からないようなまま進んでも退屈しない。アクション映画としての水準は高く、予備知識がなくても、映像、音楽、スピード感だけで最後まで気分よく見られる作品だった。

 



ピーター(トム・ホランド)は、かつての恋人MJ(ゼンデイヤ)や親友ネッドにも自分を覚えてもらえないまま、ニューヨークで孤独に暮らしている。それでもスパイダーマンとして街の犯罪者と戦い、人々を救うことだけはやめていない。

ところが、その身体に突然異変が起きる。助けを求めてブルース・バナー博士(マーク・ラファロ)を訪ねると、クモの能力を生み出しているDNAそのものが変異し、ピーターの生命を脅かしている可能性を告げられる。その頃街では姿なき不可解な犯罪が頻発するようになる。

 

⒈ニューヨークの上空を飛び回る快感

身体感覚で楽しませることを優先したアクション映画として、非常によくできていた。ニューヨークの高層ビルの間をクモの糸で飛び回る場面はいつ観ても楽しい。街を真上から捉えた俯瞰映像、道路へ向かって急降下する動き、建物の壁面をかすめながら再び上昇するスピード感など、ニューヨークそのものが巨大なアクション装置になっている。

実際には英国などでも撮影されたようだが、ニューヨークらしい都市空間が作り上げられている。スパイダーマンは空を自由に飛ぶのではなく、建物に糸を引っかけて移動するため、建物の形や高さが常にアクションに関係してくる。第1作以来この楽しさは変わらない。

 

⒉スパイダーマンと味方

スパイダーマンのトム・ホランドは孤独を抱えた少し大人のピーターを演じている。MJ役のゼンデイヤも重要で素敵な存在だが、さまざまな敵や味方が次々に登場し、アクション映画であっても人物の広がりがある。

ジョン・バーンサル演じるパニッシャーは、スパイダーマンとは対照的な荒々しい男で反発しながらも共闘する相棒のような役割を果たす。「コンサルタント2」に引き続きバーンサルの強面と重い存在感が、トム・ホランドの軽快さとうまくかみ合っていた。

フローレンス・ピューも登場するが、浴場で話をする短い場面が中心で、この映画だけでは何者なのか、敵なのか味方なのかはつかみにくい。でも短い登場でも何かを裏で動かしているように見える存在感がある。

 

⒊敵の存在

マーク・ラファロ演じるブルース・バナー博士が高層ビルの上階で巨大なハルクへ変身し、スパイダーマンを何度も地面や建物へ叩きつける場面も豪快である。普通の人間なら一撃で死んでしまいそうだが、何度でも立ち上がるのがアメコミ映画らしくて笑えてしまう。

途中まで最大の敵に見えたハルクも、実は何者かに操られている側だったことが分かる。その背後にいる若い女性ジーン・グレイを演じるのが、『ストレンジャー・シングス』で知られるセイディー・シンクである。一見すると普通の若い女性だが、巨大な支配力を持ち意識を乗っ取る。実はこの映画では中心的な悪役だった。小柄な女性と圧倒的な破壊力との落差が面白い。でもセイディー・シンクの配役や役柄は公開前には詳しく伏せられていたらしい。



⒋練られた戦い

巨大なハルクとの重量感ある格闘、街の悪党や精神を操る敵との戦い、赤い忍者集団との素早い集団戦と、場面ごとにアクションの性質が違っている。単に爆発と破壊を繰り返すのではないカンフーアクション的なノリもあり戦い方がかなり練られていた。日本語による命令を受けている赤い忍者装束を着た集団は刀を手にスパイダーマンへ襲いかかる。素早く、集団になると非常に強いが、スパイダーマンはクモの糸で刀や手足を封じ、敵同士を絡ませて退治していく。痛快だ。

ストーリーが多少分からないことさえマイナスにならず、次に何が出てくるか分からない楽しさにつながっていた。

 

⒌マリサトメイ

『レスラー』などでカタチのいいバストを40代にして見せてくれたマリサ・トメイは、年齢を重ねても魅力のある好きな女優であり、今回の登場はうれしかった。ピーターの心を支える存在として、マリサ・トメイ演じるメイおばさんも重要な場面に登場する。出番は短いものの、ピーターに語りかける姿には温かさがあり、派手なアクションの中でも自分には響いた

 

⒍盛り上がっているけど子どもたちわかるのかな?

映像とともに高らかに鳴り響く音楽もよかった。壮大な曲がニューヨーク上空の疾走感や、スパイダーマンがニューヨークで闘う場面を盛り上げ、細かなセリフや設定が理解できなくても気分が高揚する。

ただ、字幕を読んでも難しい専門用語や固有名詞や説明が多く、少年少女が吹替版を観て日本語のセリフだけで理解できるのかなあ?と思っていた。でも誰が危険なのか、誰を助けようとしているのか、スパイダーマンがどう逆転したのかは、アクションシーンを見れば十分に伝わるので子どもたちにも爽快感を感じさせる映画ではないかな。

 


www.youtube.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

映画「モアナと伝説の海」

映画「モアナと伝説の海」を映画館で観てきました。

映画『モアナと伝説の海』はディズニーのアニメーション映画の実写化。海に選ばれた少女モアナが、半神半人の英雄マウイとともに大海原へ乗り出すファンタジー・アドベンチャー。監督はトーマス・ケイル。モアナを演じるのは、サモア系オーストラリア人の新人キャサリン・ランガイアで、マウイ役はアニメ版でも同役の声を担当したドウェイン・ジョンソン

 

常夏の南洋の映像と音楽で涼しい感覚を楽しむ

普段あまり観ないディズニーの実写版を、夏の娯楽として観てみようという気分だった。アニメ版は観ていない。青い海と高波、強い日差し、緑豊かな島々の映像が大画面に広がると、真夏でありながら涼しい感覚がある。上映前にタヒチの観光宣伝映像が流れた。この映画はタヒチを含む南太平洋の景観や文化を強く意識している。

 

舞台となるモトゥヌイは、南太平洋のポリネシア文化をもとにした架空の島。島長の娘モアナ(キャサリン・ランガイア)は、珊瑚礁の外に広がる海に強くひかれている。しかし父親は、島の外へ出ることを固く禁じていた。やがて島の作物が枯れ、魚も獲れなくなり始める。

その原因は、生命を生み出す女神テ・フィティの「心」が、かつてマウイ(ドウェイン・ジョンソン)によって盗まれたことにあった。モアナは島と家族を救うため、祖母タラの導きを受けて海へ出発し、マウイを探し出して、テ・フィティの心を元の場所へ返そうとする。

 

⒈伸びやかな歌

音楽が魅力の一つ。モアナ役のキャサリン・ランガイアは長編映画初主演に近い新人。南洋の映像にあった存在感があり、歌声も若々しく伸びやかだった。日本語吹替版の歌手もかなりうまく聴こえるが、今回は俳優本人の声と表情が一体になった歌を聴きたかったので、字幕版を選んだ。ドウェイン・ジョンソンの歌も陽気で自信満々なマウイの性格によく合っており、悪くなかった。

 

⒉物語の展開

道中では嵐や海賊のような敵、巨大な生物などが次々に現れ、モアナとマウイは衝突しながら航海を続ける。神話上の人物や目的地、魔法の道具などが立て続けに登場するため、中盤になると現在何を目指しているのか、少し分かりにくくなるところもあった。正直に言えば、途中では軽い眠気も感じた。人物の心理や意外な展開を楽しむというより音楽と映像で押し切る作品である。

 

⒊怪物と大魔神

終盤になると、眠気は一気に吹き飛んだ。モアナたちの前に立ちはだかるのは、炎をまとった巨大な怪物テ・カーである。モアナはその正体を見抜き、海に道を開かせて一人で近づいていく。左右に海が割れる映像は、映画『十戒』の有名な場面を思わせる。そして緑色のテ・フィティの心を戻すと、荒れ狂っていた怪物は穏やかな生命の女神テ・フィティの姿へ戻る。

 

巨大な緑の女神がゆっくりと起き上がる姿は、ひと昔前の大映映画『大魔神』のように見えた。岩や大地そのものが人の形を取り、圧倒的な大きさで人間を見下ろす。大魔神は怒りによって人々を罰する神だが、テ・フィティは反対に、怒りを鎮めて本来の優しい姿へ戻る。それでも巨大な土着神が動き出すような映像は『十戒』と『大魔神』を思わせて自分にはよく見えた。たまにはこういう娯楽映画を楽しむのも悪くない。夏らしい気分転換として満足できる一本だった。

 


www.youtube.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

映画「プライベート・ケース」ジョディ・フォスター

映画「プライベートケース」を映画館で観てきました。

映画『プライベート・ケース』は、主演ジョディ・フォスターほぼ全編をフランス語で演じた心理ミステリー。監督はレベッカ・ズロトヴスキ。アカデミー賞主演女優賞を2回も受賞した同世代のジョディフォスターの作品には長年お付き合いしてきた。他に目新しい映画もなくこの映画を選択。配役案内がフランス語の筆記体なのも印象的

 

イマイチのれない作品

悪い映画ではなく、フランスの俳優陣もおなじみで、ところどころに面白い会話もある。しかし、ポーラの死の真相を知るため素人探偵として動くジョディフォスターには共感しにくい厄介な60代インテリ女性が自分の老いや錯乱する自分自身の心と向き合っていく話に見える。いくつもの要素を盛り込みすぎて掘り下げず少しずつ触れて進むため、全体として焦点が定まりにくい

 

パリの精神分析医アメリカ人のリリアン(ジョディフォスター)は、9年間診察を続けてきた患者ポーラ(ヴィルジニー・エフィラ)が突然亡くなったことを知らされる。ポーラには自殺の兆候がなかったと考えるリリアンは、故人をしのぶ会に出席するが、夫シモン(マチュー・アマルリック)から激しく責められる。

娘ヴァレリーからも母親の診療内容を執拗に尋ねられる。遺族の態度に不審を抱いたリリアンは、ポーラの死は自殺ではなく殺人ではないかと思い込む。眼科医の元夫(ダニエル・オートゥイユ)にも相談して独自に調査を始める。

 

⒈ジョディフォスター

ジョディ・フォスターは年齢を重ねたシワや硬い表情を隠さず、知的だが他人を寄せつけない女性を生々しく演じている。演技そのものは見応えがある。フランス語でここまで演じているのはお見事。

リリアンは患者の死をきっかけに精神の均衡を崩していく。ポーラの夫や娘を疑い、診療を録音したMDを求めて遺族の家にまで入り込む姿はかなりやばい。精神分析の専門家でありながら、自分自身の感情や思い込みを処理できない。

 

⒉面倒な60代女性と飲酒運転

リリアンはかなり面倒な人物である。他人を分析し評価することには慣れている一方、自分の非を認めることができない。こういう頑固な60代のインテリ女性は自分と同世代の日本人でもよく出会う。正直なところ、あまり深く関わりたくないタイプである。

患者の死には異常なほど執着するのに、息子や孫には決して優しい母親ではない。息子の家でのお祝いごとでワインを大量に飲み、悪態をついたうえ、酔った状態で車を運転する場面には驚かされる。フランスでは飲酒運転は違法でないのか?と思わず調べてしまう。この危険な行為を大きな問題として扱わないことに違和感が残った。

悪態の翌日、リリアンが息子を訪ね、突然前夜のことを謝ると、息子は「部屋を間違えたんじゃない? 僕の母親は謝ったことがない」と答える。この台詞には笑わされた。こういう女性は多い。同時に、それまで母子の間にどのような関係が積み重なってきたのかも一言で分かる。終盤でリリアンは少し変わるものの、長年の冷たさが消えるわけではない。いかにも典型的な60代のやっかいな女性だ。



⒊元夫の眼科医

リリアンと対照的なのが、ダニエル・オートゥイユ演じる眼科医の元夫ガブリエルである。この元夫はやさしくていい奴だ。涙が止まらなくなったリリアンを診察したことから再び関わり始める。ポーラの死をめぐる調査にも付き合う。

 

元妻の精神状態が不安定であることを理解しながら、突き放すのではなく、MDを探すため遺族の家へ忍び込む危険な行動にまで同行する。一人で行かせる方が危ないと考えているように見え、恋愛感情だけでは説明できない長年の情と包容力を感じさせる。元夫婦の再接近は妻のジョディフォスターが見せる高齢女性の錯乱と男性のやさしさが際立っていた。


www.youtube.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com

wangchai41.hatenablog.com

 

映画「チルド」染谷将太&唐田えりか

映画「チルド」を映画館で観てきました。

映画『チルド』染谷将太主演のコンビニを舞台にしたホラー新作。岩崎裕介監督・脚本による長編デビュー作。履歴を見ると監督は後輩のようだ。ベルリン国際映画祭フォーラム部門で国際映画批評家連盟賞を受賞。ごくありふれたコンビニ「エニーマート」を舞台にして現代日本の働き方や人間関係を映した奇妙な作品

 

コンビニに働く変人たちの物語

『チルド』は派手な恐怖を追求したホラーではない。コンビニを利用した経験のある人なら誰もが「こういう客や店員はいる」と身近に感じられるエピソードが満載である。笑える日常観察劇として進みながら、そこに突然の死や不条理が入りこむ。現代社会の歪みや孤独を描き出したホラーでありながらよく考えられた作品

 

東京の片隅にあるコンビニ「エニーマート」。堺(染谷将太)は学生時代から働き始め、20代の大半をこのコンビニで過ごしている副店長。レジ打ち、品出し、廃棄処理を繰り返し、休憩中にはマッチングアプリを眺めて女性とデートする。

店には細部まで支配しようとするオーナー(西村まさ彦)と、どこか社会からずれた店長や店員たちがいる。そこに美容師を目指す専門学校生の小河(唐田えりか)がアルバイトとして入ってくる。社会に染まりきっていない彼女の登場をきっかけに店の均衡が少しずつ変わっていく。

 

⒈身近なコンビニのエピソード

コンビニで実際に起こりそうな出来事が次々と盛り込まれている点がおもしろい。万引きを見逃すべきかの対応、廃棄食品を誰がどう扱うのか、アジア系外国人店員が公共料金支払いの手続きで理不尽なクレームを受ける場面、不要なビニール袋の料金が加算されていないか細かく確認する客など、日本人なら誰もが一度は見聞きしたことがありそうなエピソードが次々と積み重ねられる。

どれも「こういう人、いるよね」と思わせるリアリティがあり、日本でコンビニを利用していれば、どこかで見たことがあるような光景である。その身近さがあるからこそ、終盤に向かって少しずつ現実が狂って予想外の展開に強い衝撃を感じてしまう。

映画の登場人物たちは皆どこか人生につまずいている。声優を目指したものの夢がかなわず店長として働く男、長くコンビニから抜け出せない堺、少し風変わりな店員たち。それに対して小河だけがまともに見える。

 

⒉コンビニの独善的オーナー

西村まさ彦演じるオーナーは自分独自の価値観で店を支配している。かなりの変人。万引き常連客は「被害額は小さい」と見逃す一方、賞味期限切れ廃棄処分の食品を持ち帰った女性店員は厳しく処分し、店員の挨拶や言葉遣いにも異様なほど執着する本部から来る若いスーパーバイザーが会社の方針を説明しても、表向きは聞いているようで実際には自分の流儀を曲げない。若い本部の男はストレスでアトピーだ。コンビニという全国チェーンでありながら、実際には店内ではオーナー個人の論理がすべてを支配している。

 

⒊唐田えりか

唐田えりかが演じる小河は、奇妙な登場人物の中で最も普通で常識人に見える。美容学校の先生に就職先について相談し、大手の美容室で経験を積んだ後に、自分の店を持ちたいと率直に語る。「独立したいという本音は面接では言わない方がいい」と現実的な助言を受ける場面も印象的だった。小河の正直すぎる性格が表れている。誠実な性格なので常習的な万引きを少額だからと見逃そうとするオーナーに対して、はっきり異議を唱える。

それにしても唐田えりかちゃんは相変わらずかわいい。世の女性は例の事件をひきづっているが自分の周囲の男連中はみんなファン。いつも応援している。

 

⒋染谷将太

染谷将太無表情で陰気な顔つきでもっと暗い映画かと思ったらそうでもなかった。マッチングアプリで女の子と会う時は別の表情を示している。彼よりもっと変態な連中が多い映画だ。しかし、その何を考えているのか分からない表情も少しづつ変わってくる。やがて店長がいなくなり、堺が店長を任される過程で、オーナーと堺が親子であることも明かされる。この関係が分かると、オーナーに堺が強く反抗せず店にとどまり続ける背景も見えてくる。



⒌近所のキッシュ専門店とエピソード

店の近所に開業するキッシュ専門店のエピソードが印象的。店主は開店当初、コンビニへ来ては繁盛ぶりを得意げに語るが、客足はしだいに遠のいていく。商売を始めた人の高揚と失敗という現実的な話が、やがて予想もしない展開へ結びつく

この映画では、店長の過去の夢、小河の美容師としての将来、キッシュ店主の開業など、それぞれの人物が夢を持っている。しかし、その夢が現実にかなうとは限らず、かなえても続くとは限らない。

 

一般にホラー映画と紹介されるが、実際には日常の違和感を変人たちがエピソードで積み重ねていくタイプの作品。そして途中から「この人物まで退場するのか」と思わせる意外な展開が続き予想を裏切る。少しやりすぎでも淡々と日常の延長として見せるところに独特の不気味さがある。

 


www.youtube.com

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

 

映画「デッドマンズ・ワイヤー」ガス・ヴァン・サント

映画「デッドマンズ・ワイヤー」を映画館で観てきました。

映画『デッドマンズ・ワイヤー』は、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』の名匠ガス・ヴァン・サント監督が1977年にアメリカ・インディアナ州で実際に起きた人質立てこもり事件を題材に映画化した社会派ドラマ。当時自分は高校生で初めて知る事件。ガス・ヴァン・サントは長編映画としては久々の新作で、音楽はヴァン・サント作品常連のダニー・エルフマンが担当。

 

1970年代のアメリカの空気を感じさせる実録犯罪映画

アメリカの地方社会の背景と実話の面白さがうまく融合した作品で、最後まで飽きない。ガス・ヴァン・サント監督久々の新作としては傑作とまでは感じないものの十分に楽しめる佳作だ。テンポもよく音楽とメディアの狂騒描写に巧みさを感じる。当然そうなると思われる結末に意外なオマケがあり驚く

 

1977年、アメリカインディアナポリスに住む男トニー・キリシス(ビル・スカルスガルド)は、取引してきた不動産金融会社メリディアン・モーゲージを訪れる。社長のM・L・ホール(アル・パチーノ)との面会を求めていたのに社長は不在。代わって息子で会社幹部のリチャード・ホール(ドノヴァン・コラン)が応対する。

社長応接室でトニーは突然ショットガンをリチャードの後頭部に突きつけ、その引き金と人質の首をワイヤーで結ぶ。二人の距離が離れたりすれば銃が発射される「デッドマンズ・ワイヤー」である。トニーはリチャードを連れて会社を出ると、警察車両まで奪い、自宅アパートへ移動する。爆発物が仕掛けられて警察は容易に突入できない。マスコミが集結して緊迫した立てこもり事件が始まる。

 

⒈スッキリした映像

事件以前の生活や事業の失敗を長々と描かず、いきなりトニーがモーゲージ会社を訪れるところから始める簡潔さがいい。観客には主人公の過去も経緯もほとんど説明しない。「この男は何者なのか」を映像で見守る構成にしている。1970年代の犯罪映画を意識した演出であり、近年の映画にありがちな長い導入部を省いたすっきりした進行でテンポが良い。

映像は全編を無理に粗く加工せず、ニュース映像やテレビ画面だけに当時のざらついた質感を持たせている。インディアナポリスではなく、ケンタッキー州でロケが行われているが、街並みや建物、ファッション、デカいアメ車、電話、放送機材などに違和感なく1970年代のアメリカ中西部を再現していた

 

⒉事件の背景

映画では事件の原因について多くを語らない。しかし劇中の会話や実際の事件の背景を調べると、トニーはモーゲージ会社から土地取得資金の融資を受け、商業施設の建設を計画していたことが分かる。ところが計画は頓挫し、トニーは会社側がテナント誘致を妨害したため事業が失敗したと信じ込んでいる。

 

融資はすでに実行されており、開発が進まないまま返済と利息の負担が重くなったと考えると、彼の発言の辻褄が合う。収益が得られない一方で利息や返済だけが重くのしかかり、「なぜ利息まで払わなければならない」と社長を責め続ける。追い詰められた男の焦燥感がにじむ。ただし会社側の非はわからない。トニーの妄想が混じって被害意識が膨らんだのかは、最後まで曖昧。

 

⒊絶妙なバックミュージック

音楽の使い方は抜群のセンス。近作「HELP」の音楽で久々らしさを見せた名作曲家ダニー・エルフマンの音楽の登場だ。『バットマン』、『スパイダーマン』や一連のティムバートン作品でのマーラーの交響曲のように高らかに鳴り響くバックミュージックではない。1970年代のクライム映画を意識した音作りになっている。

既存ヒット曲の選択が映画にピッタリ。デオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき」で始まり思わずうなり、ロバータフラック、バリー・ホワイト、ドナ・サマー「Love to Love You Baby」、B・J・トーマス「雨にぬれても」、いずれも絶妙なタイミングで流れる。異常な人質事件の緊迫感を感じつつ、センスの良い音楽が絡んでくるのに自分は快感を感じる。

 

⒋TVとラジオを巻き込む主人公

事件を取り巻くのは犯人、警察、人質だけにとどまらない。ラジオとテレビを巻き込んだ単なる立てこもり実況から全米が注目するメディアイベントへ変わっていくのが見もの。黒人ラジオDJフレッド・テンプル(コールマン・ドミンゴ)は、実在したDJを基にした人物で、事件当日も犯人との交渉に関わった。トニーから電話を受け、その主張を放送しながら交渉の仲介者にもなっていく。対してテレビ局は特ダネを求め、記者たちは事件の現場へ殺到する。

 

⒌TV記者会見とジョンウェインの挿入映像

やがて警察は、トニーの要求を受け入れるように見せながら、テレビ中継による記者会見を準備する。会社側の謝罪、債務の免除、多額の補償を求めるトニーは、自分がついにホール親子を屈服させたと信じ、人質を連れてカメラの前へ出る。

その時1977年2月10日テレビでは、リアルタイムでジョン・ウェインが称賛される当時の番組や古い西部劇の映像が流れていたのだ。アメリカ映画の英雄と、リアルタイムで立てこもる危険な男が対比される構成は偶然にしては出来過ぎ

トニー自身も次第に金融会社と対峙する庶民の代表として、全米に訴える主人公になりきりカメラを強く意識するようになる。エンディングに挿入される実際のリアル映像では、犯人がカメラに向かって「俺を映せ」と訴える場面が映し出されるが、思わずその自己顕示欲に笑ってしまう

 

⒍ガス・ヴァン・サント

ガス・ヴァン・サント作品のブログアップは久々だ。数学の天才を描いた『グッド・ウィル・ハンティング』は大好きショーン・ペンが圧倒的な演技を見せた『ミルク』ショーンコネリーが善意の小説家を演じる『小説家を見つけたら』のようなヒューマンドラマとは方向性が少し異なる。

今回は実話を素材に、一人の男が恨みをもつ会社だけでなく警察、メディアを巻き込む姿を描く社会ドラマ。ただし簡潔な構成で長いブランクを感じさせない完成度になるのはさすが。

 

主演のビル・スカルスガルドは、『IT/イット』シリーズなどで知られる俳優。怒りと不安、自己正当化が入り混じる複雑な人物像で全米へ向けて自らの正義を語ろうとするトニーをワイルドに演じていた。うらまれる社長アル・パチーノのかすれ声はさすがの貫禄である。


www.youtube.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com

 

wangchai41.hatenablog.com