映画とライフデザイン

映画ブログを始めて17年、年間180〜200本観ます。時おりグルメ記事や散歩して気に入った場所の記事を書きます。gooの閉鎖で移動してきました。

映画「ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男」

映画「ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男」を映画館で観てきました。

「ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男」原題『Midas Man』は、ビートルズを発掘し世界的成功に導いた伝説のマネジャー、ブライアン・エプスタインの生涯を描いた伝記映画である。監督はジョー・スティーブンソンビートルズ史を知る人にとってはマネジャーのブライアンは誰でも知っている存在で、全盛時に突然亡くなったことも有名だ。ただ、どんな人生を歩んだのか突っ込むことはなかったので予告編から気になっていた。

タイトルの“Midas”の意味は神話のミダス王に由来し、「黄金を生み出す男」と同時に「成功の代償に破滅を招く存在」という二重の意味を帯び、エプスタインの光と影を象徴している。

リヴァプールの家具店の跡取りとして育ったブライアン・エプスタイン(ジェイコブ・フォーチュン=ロイド)は、店舗の一部を父ハリー(エディ・マーサン)からレコード売場として分けてもらい切り盛りしていた。地元キャヴァンクラブでブライアンは無名のビートルズを見出し、マネジメント契約を結ぶ。EMIのジョージ・マーティンとの契約交渉を成功させ、ピート・ベストを外してリンゴ・スターを迎えるなど、バンドをプロとして整えビートルズLove Me Doでデビューした。

「From Me to You」で初の全英1位になった後にアメリカ進出を目指す。ブライアン・エプスタインは人気の鍵となるエドサリヴァン・ショー出演をまとめ上げ、ビートルズを国際的スターへと押し上げる。しかし、世界的成功は常に摩擦と隣り合わせだった。日本公演、フィリピン公演でトラブルが続き、アメリカでもジョンのキリストに関する発言が大問題になる。結果としてビートルズ「もうツアーを辞めたい」と言い出すきっかけとなる。

ビートルズ史を裏側から支えた人物の実像を映像で描き出す

ビートルズ史の重要局面でブライアン・エプスタインがいかに重要な役割を果たしたのかが良くわかる。ビートルズファンは必見だ。もちろんリヴァプールのキャヴァンクラブで発掘したことに大きな意義はあってもそれだけでない。特にピートベストからリンゴスターへのドラムスチェンジ、アメリカの超人気番組エドサリバンショーへの出演交渉にブライアン・エプスタインが関わっていたことを映像で浮き彫りにする。予想よりも良かった。

ただ、ブライアン・エプスタインにも影があった。敏腕マネジャーとしてバンドのポテンシャルを最大限花開かせた一方で、ホモセクシャルとしての一面やストレスから過度の薬物に依存することにも映像はウェイトを置く。本などで読んでいて知っていたことでも、こうやって映像で観れると親近感を感じる。

⒈ブライアンエプスタインの活躍

本作ではカメラに向かって本人が自らの軌跡を語るようなスタイルをとり、エプスタインの交渉力や存在感が前面に出される。キャヴァン・クラブでの発掘、ピート・ベストへの引導口達、エドサリヴァンショーへの異例の3週連続出演、ツアーでのトラブル処理などビートルズの重要局面に関わってきた。

ユダヤ系の富裕層で生まれた彼は家業の家具屋経営に飽き足らずレコード店も営む。自分はブライアンを単なるマネジャーと思っていた。そうではなく音楽事務所「NEMS Enterprises」 の経営者としてプロデューサーであったことが映画で明確になる。日本で言うなら 音楽事務所の社長兼、ビートルズの専属マネジャー」という両方の立場を兼ねた人物なのだ。

ビートルズのツアー退却のきっかけ

1966年の日本武道館公演は右翼から猛反発を受け、フィリピンではイメルダ夫人の招待を断ったことで怒りを買い、メンバーの身の危険にまで発展する。さらにアメリカではジョンレノンの「ビートルズはキリスト以上に有名」という発言が大きな反発を呼び、レコード焼却騒動にまで発展した。これら一連のトラブルは、エプスタインが矢面に立って解決に奔走した。映画はその暗部をしっかりと描き、ビートルズ史の転換点が再認識できる。確かにメンバーも嫌気がさすよね。

⒊ブライアン・エプスタインの私生活

作品はブライアンエプスタインの私生活にも踏み込む。社会に受け入れられなかった同性愛者としての孤独や、薬物依存の深まりを強調する。弟が結婚し家庭を築く一方で、心労と孤立の果てに32歳で急死する。数え年でいえば33歳、女性の「大厄」にあたる年齢であり、自分の周囲でもこの歳にエライ目にあった人が数多い。「身体の疲労がたまる節目の年齢に不幸が重なった」と感じさせる。

世界的なバンドを抱えて、ワールドツアー、契約交渉、メディア対応……すべてを一手に引き受けたのは、今考えても酷な重責だ。その重圧を和らげる心の拠り所が乏しかった。しかも当時の英国では同性愛は違法行為(刑罰対象)で公に同性愛を生きるのはほぼ不可能。弟のように結婚して家庭を築いていたら、孤独や不安から薬に頼る度合いも少なかったかもしれない。そうすれば心身を壊さず、もう少し長生きした可能性は十分あった気がする。


ブライアン・エプスタインの死は、「重責による心労」「社会的に受け入れられなかった同性愛の孤独」「薬物依存による体調悪化」 この三つが絡み合った悲劇だとつくづく思う。

映画「レッド・ツェッペリン:ビカミングBecoming Led Zeppelin」

映画「レッド・ツェッペリン:ビカミングBecoming Led Zeppelin」を映画館で観てきました。

映画レッド・ツェッペリン:ビカミングBecoming Led Zeppelinレッド・ツェッペリンのバンド結成に至るまでの軌跡とデビューから2枚目アルバム期にかけて、いかにして上り詰めていったかを描いたドキュメンタリーである。4人のメンバーだけの語りと音楽パフォーマンスの記録映像で構成されている。これは本当に楽しみにしていた。

やはり1970年代にリアルタイムで聴いてきた世代が中心で観客の年齢層は高めだ。でも「シニア映画」を観にいく層とは違う空気が流れる。「今でも血が騒ぐ」という現役感を漂わせた観客が多いようだ。男性比率が圧倒的(約90%)でロック映画としては想定通りで「筋金入りのファン」が多い印象。女性は1人来場が目立つ。学生運動の闘士OG」のような屁理屈で男を圧倒する人相の女性に見える。尖った文化資本を持っている人たちなのだろう。音楽と社会的熱気が結びついていた世代背景を感じる。

興奮の渦で2時間を駆け抜ける。

北欧ツアーなどの未公開映像ジミー・ペイジの音響的こだわり肉声インタビューなど、「新しい発見」が多く盛り込まれていた。「神話誕生の瞬間」を目撃できるのがうれしく、「よくぞここを映像化してくれた」という満足感を覚える。メンバーが抱えていた生活の不安、家族との葛藤、音楽への異常なまでのこだわりを浮かび上がらせる。

「天国への階段」や「Black Dog」といった4枚目アルバムの名曲に親しんできた世代からすると、物足りなさを感じる人もいるかもしれない。でも、あえて初期に焦点を絞り、上昇するエネルギーと人間的な背景を描くことで、神話の陰に隠れていた生々しい姿が浮かび上がる。すばらしい!

特に印象的だったのはメンバーそれぞれの人物像だ。

⒈ロバートプラント

ロバート・プラントはもともと公認会計士をめざしていたようだ。前バンド解散後、約1年住む場所すらなかったという不安定な生活から出発したと知り驚く。ツェッペリン結成後は作詞が得意でないジミー・ペイジに代わって歌詞を担った。エロティックな歌詞というイメージの裏に、自らの放浪や心情を反映した曲があったことを、字幕を通じて改めて知った。例えば「Ramble On」は家を持たず彷徨う青年の自分を重ねた自伝的要素が込められていると気づかされる。

ジョン・ポール・ジョーンズ

ジョン・ポール・ジョーンズはコメディアンの息子で、16歳で学校を辞め音楽の道に進んだ早熟の職人だ。すでにスタジオミュージシャンとして著名な存在だった。シャーリーバッシーが歌う「007ゴールドフィンガーのレコーディングでジミー・ペイジとともに演奏していた。ロイヤルアルバートホールでの凱旋コンサートで父親が観に来てくれた喜びを話す場面が素敵だ。

クリームのドラムス・ジンジャーベイカとベース・ジャックブルースが仲が悪かったのは有名だが、インタビューではドラムスのジョン・ボーナムのプレイを讃えるレッドツェッペリンリズムセクションの強みを痛感した。

⒊ジョンボーナム

ジョン・ボーナムについても新たな発見があった。以前バンドで一緒だったロバートプラントの強い推薦で加入したが、他のバンドで安定収入があったため妻から強く反対されていた葛藤があったのだ。そしてジョンがジェームス・ブラウンバンドのドラムスプレイを愛し、後にニューポート・フェス出演時にそのドラマー本人が観に来てくれたことを誇らしげに語るエピソードが心に残る。

1980年に急逝したため、映画でインタビューの肉声を聞けること自体が非常に貴重でもあった。もちろんジョンボーナムのドラムソロが聴けるMoby Dickで今や見れなくなったドラムスプレイも堪能できる。

ジミー・ペイジ

ブラッド・ピットの映画「F1」のイントロででいきなり「胸いっぱいの愛を Whole Lotta Love」が流れたのには興奮した。2008年の北京五輪閉幕式には次のロンドン五輪への引継ぎでジミーペイジが出てきたのを急に思い出す。女性歌手と「Whole Lotta Love」を演奏した。それにしてもあの歌はえらいどぎつい歌詞なんだけどね。有名なギターソロにはいずれも興奮したのを映画を見ながら思い出す。

ジミー・ペイジはこの映画でヤードバーズ時代の姿や、映画『欲望』ジェフ・ベックと並ぶ場面もチラ見できる。「欲望」はイタリアの巨匠ミケランジェロアントニオーニ監督のロンドンが舞台の映画である。ヴァネッサ・レッドグレーヴが殺人的な美貌を見せるいかにも60年代半ばという映画で、なんとジェフベックのギターにジミーペイジのベースが絡む。映画を見ていてこれは幻か?と思ったくらい驚いた。

さらに映画では、ペイジが「Whole Lotta Love」ミキシングに徹底的にこだわり、テルミンなど様々な音を混ぜ込んだことが語られる。その徹底した職人気質と全盛時の圧倒的なギタープレイの凄さに改めて感動させられた。ジミー・ペイジのギターだけは巷のギター自慢もひたすら同じフレーズでコピーするしかない。

また、デビューアルバムが評論家筋やローリング・ストーン誌に酷評された一方で、膨大なライブを通じて全米のファンの支持を積み上げ、それが2枚目アルバムの全米1位獲得へとつながった流れも描かれる。シングルではなくアルバム全体で聴かせることにこだわり、イギリスでのリリース前に全米ツアーを敢行するというジミー・ペイジの戦略性も、この成功を後押ししたのだ。

⒌自分のレッドツェッペリン

初めてレッドツェッペリンを知ったのは小学校高学年だった。ビートルズがきっかけで全米ヒットチャートに関心を持ちヒットチャートマニアになる。そこでビートルズアビーロードを抜いてトップに立ったバンドがいること自体に驚く。レッドツェッペリンのセカンドアルバムだ。異常な回数のライブでファンの支持を勝ち取り、2枚目アルバムで全米1位を達成した過程がドラマチックに描かれているのを観るのはうれしい。

レッドツェッペリン4枚目のアルバムまではロック少年必聴自分も細かいフレーズまで頭にこびりついている。聴き始めは中学生になる頃なので「immigration song」や「Black dog」などのなじみやすい曲に最初惹かれたが、BBCでのスタジオライブに興奮して次第に1枚目や2枚目のブルース調の曲に馴染んでいくようになる。

自分は生意気なガキだった。今みたいなネット社会でなく資料もない。ヒットチャートマニアといっても、当初は雑誌「ミュージックライフ」に全米ヒットチャートが後ろの方に掲載されていてそれを確認するしかないのだ。1971年来日した時の「ミュージックライフ」も食い入るように読んだ。その年末に「レッドツェッペリンⅣ」がリリースされた。やがて高校の学園祭などではディープパープルとレッドツェッペリンをコピーするバンドの演奏で盛り上がる時代になっていく。

1枚目の「Dazed and confused」はこの映画でもジミー・ペイジのギター中心に繰り返し流れていた。ファーストアルバムの典型的なブルース「You Shook Me」「I Can't Quit You Baby」が流れていたのもうれしい。「Babe I'm Gonna Leave You」がもともとジョーンバエズの歌とは知らなかった。欲を言えば3枚目「Since I’ve been loving you」が聴きたかった。

映画「宝島」妻夫木聡&広瀬すず&窪田正孝

映画「宝島」を映画館で観てきました。

映画「宝島」は戦後沖縄を舞台に市民の生と怒りを描いた真藤順丈直木賞受賞作  を大友啓史監督で映画化した作品である。妻夫木聡が映る映画ポスターが気になるが、上映時間3時間10分にどうしようかなと思ってしまう。自分は大友啓史監督の「るろうに剣心のファンで、これだけの主要キャストが揃えば何とかなるだろうと朝一番の映画館に向かう。結果的に長さを感じなかった。

物語は1952年、米軍嘉手納基地から物資を略奪する「戦果アギヤー」という集団をクローズアップする。占領下に置かれた沖縄で米軍から奪った缶詰や日用品を貧しい地域に分け与えるのだ。ところが、米軍も黙ってはいない。夜の基地襲撃に失敗してリーダーのオン(永山瑛太)が姿を消す。その後1958年に場面が移り、彼ら刑事(妻夫木聡)、ヤクザ(窪田正孝)、小学校教員(広瀬すず)という異なる道を歩み始める。映像は1960年代の3人を追っていく。

強烈な熱量に圧倒される。すばらしい作品だ。

今年「国宝」を抜く作品は出てこないと思っていたが、自分は「宝島」の方が上と感じた。主要キャストの熱演を生み出した大友啓史監督の演出力には恐れ入る。「宝島」は単なるフィクションではない。戦後日本から切り離され、米国の占領下に置かれた沖縄の現実をここまでリアルに描いた劇映画は極めてまれである。大友啓史監督らしいアクションの切れ味と群衆劇の熱気、そして市民の切実な声も露わにして沖縄の歴史を伝える作品として圧倒的な熱量をもつ傑作となった。

妻夫木聡

刑事となったグスク(妻夫木聡)は、米兵が事件を起こしても結局は憲兵(MP)が現れてうやむやに終わる現実に嫌気を募らせている。日本人としての正義が無力化される屈辱を常に感じている。逆にその姿勢は米軍諜報部に認められ、グスク自身が米軍に協力する立場となる。沖縄の人々が米軍に翻弄されざるを得ない複雑な構図だ。とはいうものの、やがてその立場に疑問を感じていくのだ。NHK TV「あんぱん」では戦後のどさくさで子供たちに物資を配る役柄で同じようなシーンが妙にかぶった。

広瀬すず

ヤマコ(広瀬すず)は小学校の教師になる。その役割にとどまらず、物語を通じて従来の彼女には見られなかった熱量のある演技を見せる。遠い山なみの光よりはるかによかった。授業中に米軍機墜落の惨事に直面する場面は、突然の非日常が切り裂く瞬間として印象に残るシーンだ。1960年代の本土復帰を求めるデモでも先頭に立ち、切実な思いを代弁する存在へと変化する。従来の広瀬すずの清楚なイメージを超え女優として一皮むけた。

窪田正孝

レイ(窪田正孝)はヤクザに堕ちていき、似たような愚連隊との衝突を重ねる。彼が殺人を犯し、血にまみれて広瀬すずの家に駆け込む場面は強烈な迫力だ。広瀬すずも抜群によかった。窪田正孝『悪い夏』でもタトゥを入れた半グレ的な役をやっていた。裏社会に踏み込むような人物を演じると独特のリアリテがある。一瞬で狂気を帯びる雰囲気を出せるのが強みだ。その窪田正孝の魅力を巧みに引き出した大友啓史監督は『るろうに剣心』で磨いたアクション演出の鋭さをそのまま活かし、暴力の瞬間に切れ味があり、生々しさがあった。

⒋圧巻の暴動シーン

映画の後半、群衆がアメ車を打ち壊す暴動の場面は圧巻だ。広大な道路に再現されたゲート通りのセットで、数百人のエキストラが一斉に怒声を上げる。この熱気はこれまでの日本映画では見たことがない。現代の日本ではデモが暴動に発展することはほぼなく、コンプライアンスに縛られた社会からすると信じがたい光景だ。

沖縄の人々の怒りは、日々の暮らしに直結する切実な問題から生まれている。米軍機の墜落、土地の接収、騒音、米軍兵による暴行事件など生活と命に関わる現実が背景にあるからこそ、暴動が「爆発」になったと感じた。同じ時期に本土では学生運動が盛んだったけど、とるに足らない学生たちの暴動とは違い沖縄の人々の怒りは本物だったと理解する。

⒌当時の沖縄の再現

沖縄の人々が積み重ねてきた憤りや悲しみがそのまま画面に噴き出す。市民の日常生活から暴動、米軍との軋轢までをここまで大規模かつリアルに再現した作品は初めてではないか。情報ではコザの歓楽街を再現するために、英語看板やバーのネオンを徹底的に集めて作り込んだようだ。「一目で当時の空気に連れていく」ようなセット設計がなされている。

自分はこの当時の沖縄を知らない。自分が小学生の頃父と一緒に久里浜に釣りに行った。その途中横須賀の街を通ると、店舗に英字のデカい看板が目立った。突如外国に行ったかのようだった。当時の横須賀の街並みを連想して「宝島」のセットに懐かしさを感じた。アメ車を壊す暴動シーンも凄かった。これは実際の道路ではなく、スタジオに作った大規模なオープンセットだそうだ。リアルな感じがした。

映画「ブラックドッグ」

映画「ブラック・ドッグ」を映画館で観てきました。

映画『ブラックドッグ』は中国内陸部の退廃した町で孤独を抱えた男が一匹の犬と心を通わせる物語である。監督はグアン・フー、主演はエディ・ポンカンヌ国際映画祭「ある視点部門グランプリ」と「パルムドッグ審査員賞」のW受賞。予告編で観た雰囲気が中国の暗部を描いた映像で自分の好みだ。時代設定は2008年の北京五輪のころで、ちょうどこのブログが始まった時期だ。映画監督のチャンイーモアがプロデュースした開会式を思い出す。

2008年の北京五輪を控えた中国内陸部の町「赤峡」に刑務所から出所した青年ラン(エディ・ポン)が故郷に戻ってくる。町は人が去って空洞化し、放置された犬が問題となっていた。ランは警察の勧めで野犬捕獲の仕事に就く。

それでも、ランの過ちで甥っ子を亡くした羊肉会社の経営者からは過去の因縁で執拗に嫌がらせを受ける。また、野犬捕獲の仲間からも「全部を捕まえない」と責められ、暴力を振るわれることさえある。そんな時一匹で行動している黒い犬と出会うとランの間に奇妙な友情が芽生える。

内陸部の荒廃した中国の町を描いて裏側のリアルを感じさせる

中国では「金になる場所」はすぐに地上げされ、再開発で高層ビルやショッピングモールに変わる。しかし、投資価値が低い田舎町や内陸の小都市では、資金を投じて都市化するインセンティブが弱い。その結果、人口が流出して空き家・廃墟が放置され、この映画に出てくるような「荒涼とした町並み」がそのまま残る。そういう現実を象徴している。
2008年を舞台にしていながら、「今でも中国のどこかにある」と感じてしまう。経済が冷え込むと、沿岸部と内陸の格差はますます広がるので、むしろ2025年の現実ともとれる「現代のドキュメンタリー」にも見えてしまう。

⒈荒廃した内陸部の町

主人公ランが刑期を終えゴビ砂漠の端にある故郷に戻って来ても実家はもぬけの殻だ。被害者の親族からは「絶対に許さない」と執拗に付きまとわれる。区画整理による退居で人の流出が止まらず廃墟が目立つ街は、捨てられた犬たちが野生化して群れとなっていた。

町には解体予定の住宅や商店だけでなく、寂れた動物園や劇場、使われなくなったバンジージャンプといった施設が残されており、かつては人を集めたはずの娯楽や生活の痕跡が、今では荒廃の象徴として残っている

舞台となる町「赤峡」は架空の町名でもゴビ砂漠周辺の実在の町で撮影されているようだ。実際に解体予定の建物や、放置された施設をそのまま使ったと考えると、あのリアルな退廃感には「セットでは絶対に出せない質感」を感じる。ロケハンには成功している。

⒉俳優で登場するジャ・ジャンクー監督

観たことあるなと感じる登場人物がいる。中国の巨匠映画監督ジャ・ジャンクーが役者として登場する。町の顔役であり、野犬捕獲を取り仕切る上役だ。無口な主人公と並んで存在感を放ち、映画全体に現実感を加えていた。もともとジャ・ジャンクーが自身の作品「帰れない二人」、「長江哀歌」で描いてきたのも、中国の内陸にあるさびれた町や取り残された人々だ。『ブラックドッグ』の風景や雰囲気はジャ・ジャンクーの作品に自然に重なって見えた。

⒊主人公ランとブラックドッグ

主人公ランは無口で寡黙な人物である。刑務所帰りということで冷ややかな視線を浴び、家族も支えにはならない。姉は夫が失業し生活苦で帰郷できず、立ち退きの補償金をあてにする。父は元動物園の飼育員だが酒に溺れて病を抱えていた。社会に復帰しようとしても居場所を与えられず、ランは孤立を深めていた。

目の前に現れたのは一匹の黒い犬である。捕獲されずに逃げ回るその犬は、やがてランと行動を共にする。映画の中で印象的なシーンは、主人公に恨みをもつ奴らにいじめられていたランを、このブラックドッグが窓ガラスを突き破って助けに入る場面だ。映画は全体に抑制されたトーンだったのに痛快さを感じさせる瞬間だった。

物語には小さな人との出会いもある。サーカスの一団のような旅芸人の歌舞団が町を通りがかり、クルマが横転して困っていたランが夜の砂漠で彼らに救われる。なかには彼に好意を示す若い女も出てくるのだ。普通なら恋愛に発展しそうな流れなのに関係が深まることはない。あえてそうしない。映画全体は劇的なクライマックスをあえて欠いている。でも、人と犬との関わりを静かに淡々と語ることに絞るのもこの映画の魅力かもしれない。

映画「ブラック・ショーマン」福山雅治&有村架純

映画「ブラック・ショーマン」を映画館で観てきました。

映画「ブラックショーマン」は東野圭吾のミステリー小説「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」の映画化。福山雅治有村架純が主演で2人は殺された被害者の弟と娘役で殺人事件の真相に迫るストーリーだ。

福山雅治の映画は好みで、毎回独特のパフォーマンスを楽しんでいる。有村架純の映画も割と観ている。近作「花まんま」も良かった。マジシャンが主人公の映画は自分と相性がいい。「グランドイリュージョン」はスケールも大きく興奮させられ引田天功ばりの脱出トリックに魅了された。福山雅治のエンタメ作品はさすがに人気で観客も多い。

地方の田舎町で殺人事件が起きる。亡くなった神尾英一(仲村トオル)は町の中学で長く国語を教えてきた人物で、同窓生や地域からも慕われていた。突然の訃報に、結婚を控えていた娘の真世(有村架純)があわてて帰郷する。さらに、普段は東京でバーを営む元マジシャンの弟・神尾武史(福山雅治)と現場で出会う。警察の捜査が始まる一方で 武史が兄の殺人事件の真相を探ると言い、娘もフォローする。

葬儀には亡くなった神尾の教え子であった真世の中学の同級生も数多く参列する。同窓会で集まることになっていたのだ。今は旅館の女将、酒屋の店主、地元建設会社の副社長、人気漫画家、広告会社のキャリア女子、IT企業の社長、地方銀行の行員、そして正体のつかめない謎の女。いずれも一見すると町を支える存在だが、探っていくと怪しさを抱えている。武史は少しづつ真相に迫っていく。

福山雅治演じる元マジシャンのパフォーマンスと推理を楽しむ映画

ロケ地は岐阜の山あいの町。紅葉に染まった山々、高台からの澄んだ眺望、古い町並みの残る通りや商家の佇まいが映し出される。有村架純の可愛らしさと美しい風景が映像を引き立てる。この作品は「マジシャンが推理をする」というこれまでの福山雅治作品とまた別のユニークな設定が味わえる。傑作というより気楽なエンターテインメントとしてあきずに観れる映画だ。

⒈数多い登場人物と真犯人

映画を観ているとどの人物に対しても次々と疑念を抱かされる。誰が犯人でもおかしくないように個人をアップするカメラワークは、最後まで緊張感を保つ仕掛けになっていた。2時間の枠でこれだけの登場人物を動かし、それぞれの職業やキャラクターに合わせるような怪しさを与えて揺さぶり続けている。十分に工夫が凝らされているストーリーだ。

各登場人物が普通の顔をしている裏で実はスネに傷がある途中で「別の人物が真犯人なのでは」と思わせる展開が多く、真犯人の動機の納得感に物足りなさがあっても、最後まで楽しめる推理劇だった。

福山雅治

紅白歌合戦ではトリを務めたり、エンタメ映画で主役をしたり、まさに現代の千両役者だ。マジシャンだった時代のマジックを映画の冒頭で見せる。刑事の携帯を盗み見たり、イタズラのような小細工を披露したりと、人を翻弄しながら情報を入手して真実に近づいていく。相手の心理を揺さぶる“マジシャンらしい手つき”が光っていた。告別式の棺桶への花入れで手品を使うシーンには思わずうなる。

これは科学者として理詰めで解く「ガリレオ」とはまったく違う探偵像であり、福山雅治にとって新しいキャラクターの誕生といえる。ラストに向けての種明かしがいかにも福山雅治映画らしい謎解きのショーでさすがと感じる。バーテンダーという役どころも自然で、バーカウンターに立つ姿はよく似合っていた。

有村架純仲村トオル

福山雅治とともに事件の真相に迫る有村架純は、父を失った娘という役柄なのにシリアスでなく彼女らしい可憐さと柔らかさを与えていた。いつもと変わらないが登場すると和らぎ、前を向こうとする姿勢で自然と彼女に感情移入してしまう。有村架純の存在自体で作品全体に温かみを添える。

今回仲村トオルは遺影だけで終了かと思ったらそうならない。物語の進行に伴い、国語教師としての存在が徐々に効いてくる。中学教師時代の過去や人間関係が次第に真相へと繋がっていくため、結果的に最後まで登場する。娘にとっては親であり恩師である父親と同窓生たちの関係がわかっていくにつれて事件の深みが浮かび上がる仕掛けは悪くはない。

映画「Dear Stranger/ディア・ストレンジャー」西島秀俊&グイ・ルンメイ

映画「Dear Stranger/ディア・ストレンジャー」を映画館で観てきました。

『ディア・ストレンジャーはニューヨークを舞台にした西島秀俊と台湾の人気女優グイ・ルンメイ主演のヒューマンサスペンス映画。真利子哲也監督がメガホンをもつ。グイ・ルンメイの主演作『鵞鳥湖の夜』,『薄氷の殺人』の2作は中国の暗部に焦点をあてる作品で、いずれもグイルンメイが強い印象を残した。真利子哲也監督は「ディストラクション・ベイビーズ」,「宮本から君へ」痛烈な暴力描写でいずれもキネマ旬報ベストテンで4位、3位の高い評価を受けている。その2人が西島秀俊と組むので楽しみにしていた。

ところが、公開直後の評価は厳しく、映画.comでは2点台に留まっている。日経新聞の評価は4点だが、評価が分かれた時は観ろ!は自分の鉄則だ。映画comの評価は日本人特有の同調意識に引きづられて極度に低い点数の連鎖になることもあり、気にせずに映画館に向かう。

ニューヨークが舞台、日本人の夫(西島秀俊)と中華系アメリカ人の妻ジェーン(グイ・ルンメイ)、そして一人息子カイの3人家族がアパートメントで暮らしている。夫は大学で廃墟を専門に研究する建築学の教育者、妻は人形劇の演出に携わるアートディレクターの知的な夫婦だ。文化的背景の違いが積み重なり緊張を帯びた生活をしている。ただ、育児に関して妻は市内に住む実母より専業主婦で育てるよう勧められるが、やりたいことがあると強情だ。

不穏な出来事が相次いで起きる。実家が営む店に妻がいる際に強盗が入り、さらにスーパーに買い物に行った時の車にはペンキで落書きが残される。そして息子が夫の学校で突然姿を消し、誘拐事件として警察が動き出す。家族中で探すがうまくいかない。しかし、子どもは比較的早い段階で無事に発見され収束へ向かう。その時誘拐犯は殺されていた

土壇場のどんでん返しには驚く

予告編から事前に想像されるような「誘拐犯人捜し」のサスペンスと思わせるが、そうではない。映画が始まり1時間たたないうちに息子は保護される。その時息子を監禁していた人物が命を落としていた。その死の経緯をめぐって、意図的な行為なのかが曖昧に描かれる。家庭の外から忍び寄る悪意があっても、家族の中ではっきり「口にできないこと」が中盤にかけて少しづつクローズアップされる。サイコスリラー的な心理劇的要素が強い。

西島秀俊とグイルンメイ

俳優陣の存在感が際立つ。グイ・ルンメイ演じる妻は、育児に関して母親との摩擦を抱えつつ過干渉な気質を見せ、自らの意思を曲げない強情な母親像を見せつける。夫婦の軋轢もたびたび起きる。中国映画『鵞鳥湖の夜』『薄氷の殺人』での妖しさや強さを徐々に見せていく。西島秀俊も安定した演技で、真利子哲也監督得意の格闘シーンもある。夫は誘拐犯人像に気づいていながら言葉にせず沈黙を選ぶ。その結果、家族は表面的な平穏を装いながら、事実を共有できないまま進んでいく。「ドライブマイカー」と似た心理状況だ。2人の主役のバランスが物語を支えている。

⒉ニューヨークと中華系

映像面では、観光的な華やかさとは異なるニューヨークの生活感が切り取られる。バックのミュージックもセンスの良いジャズピアノで都会的な感覚だ。2人が住むアパートメントは典型的なニューヨークの住まいでスーパーマーケット、病院などの生活エリアも映す。妻の実家の雰囲気と、営むドラッグストアに中華系の雰囲気も漂う。妻が携わる人形劇や夫の廃墟研究といったモチーフの場面はやや冗長に感じられるが、2人の立場や心情を映し出す背景となっている。

⒊終盤の展開(ネタバレ、ギリギリセーフ)

最後に自分は「えっ、ここでそう来るのか」と驚かされ、監督のこだわりを感じた。物語はいったん落ち着いたかに見せかけ、われわれに「このまま収束するのか」と思わせた直後に、予想外の出来事が待ち受けている。真利子哲也監督は、サスペンス的な盛り上げ方ではなく、あえて唐突に「観客の度肝を抜く仕掛け」を置くことで強烈な余韻を残した。凡庸な結末にはせず、意図的に観客を動揺させる構造なのに一律に低評価とするのはもったいないなあ。傑作とまでは言わないが、十分に観る価値があると感じる。

映画「キング・オブ・ニューヨーク」クリストファー・ウォーケン

映画「キングオブニューヨーク」を映画館で観てきました。

映画「キングオブニューヨーク」クリストファーウォーケン主演の1990年のマフィア映画だ。映画館のハードコア傑作集で何気なく予告編を目を止めるとクリストファーウォーケンの不気味な顔が脳裏に残る。他に行きたい作品も見当たらずに選択する。ニューヨークを舞台にしたアベルフェラーラ監督の『キング・オブ・ニューヨーク』は、単なるマフィア映画にとどまらず、当時のニューヨークの空気がよくわかるところが魅力的な作品である。

5年の刑期を終えて出所したマフィアの首領フランク・ホワイトクリストファー・ウォーケン)は、街に戻るとすぐに片腕のジミージャンプ(ローレンスフィッシュバーン)とともに銃を手にライバル組織を粛清する。そして冷酷無比に裏社会の王としての地位を奪い返すのだ。一方で彼は麻薬取引で得た資金を地元ブロンクスの病院の再建に投じ、政界や社会的地位のある人々と交流する。一方で、警察からは強くマークされるようになっていく。

まさにカルト映画で荒っぽいけどおもしろい。

何よりクリストファーウォーケンの冷徹な存在感を観るだけでも価値のある作品だ。フェラーラの演出は時に荒く、音楽は場面に合わず“うるさい”と感じることもある。逆にスタイリッシュなギャング映画とは異なるリアルな感触を生んでいる。

⒈クリストファーウォーケン

クリストファーウォーケンの持ち味は、クールな外見の奥に潜む狂気だ。人相は極悪人そのもの。言葉少なに佇むだけで背筋を寒くする「裏の支配者」と「慈善家」という矛盾を同時に抱え込む存在が、フランクという人物の不気味な魅力を形作っている。

自分にはディア・ハンターでのロシアンルーレットのシーンでの狂気の表現が強く印象に残っている。本当にドキドキした。本作品での冷徹なマフィア王の演技も同じように彼にしか出せない独特の存在感が垣間見れていい。

演説会場でのドナルドトランプのように静かに踊る仕草を見て、「ジャージーボーイズ」で街の顔役だったクリストファーウォーケンが姿を見せるラストを連想した。

⒉警察側の逆襲

警察側の描写がいつものアメリカギャング映画と違う気がする。警官の結婚披露宴など、警察の私生活が丁寧に描かれているのもめずらしい。フランクの手下を逮捕してもトップを通じて弁護士の力で釈放されることに警官たちは業を煮やしている。そこで、ライバルのマフィアと手を組み、強引にフランクのドラッグパーティーに突入を敢行する。最初は単なる抗争に見せておいて、途中で実は警察だったとわかる仕掛けになっており、善悪の境界が崩壊する瞬間を強烈に示す。普通の市民と同じ顔を持つ警察官たちがが暴力の泥沼に飲み込まれていく。

若き日のローレンス・フィッシュバーン(当時はラリー名義)が登場する。今の重厚な俳優像からは想像できない軽さだ。やせた体格でフランクの側近チンピラを演じ、まあ普通のワルを超越する。警察に逮捕された後、釈放されても警察とドンパチだ。のちに数々の作品で威厳ある役を担う彼の初期の姿を知ることができるのも、この映画の面白さだ。

⒊1990年のニューヨーク

1990年のニューヨークを記録した貴重な映像でもある。ニューヨークの倫理が崩壊している姿を濃厚に映し出す。映画でもっとも印象的シーンは、出所直後にフランクが銃を手にライバルを撃ち倒す場面で、まずこの街が暴力に支配されていることを示す。その後も夜のニューヨークが映画の中心となる。フランク主催のド派手なパーティでは正装でタキシード姿が目立つ。その一方で夜のクスリまみれの乱行パーティーの場面は誰もが裸で狂乱の渦となり両極端だ。

マンハッタンの街中に向かって逃走の車がイースト川の橋でカーチェイスする場面、街中で大量のキャブが行き交うカット、チャイナタウンでの中国人マフィアとの撃ち合いなど、ニューヨークの象徴的な風景でのつばぜり合いが強烈に目に焼き付く。「観光都市ニューヨーク」の顔を示しながら、裏側の混沌と危うさをも映像に漂わせる。